フロアコーティング森のしずく 会長の日記

フロアコーティング森のしずく会長のブログです。

「 調和 」

わたしの一番好きな場所と言えば。

 

騒がしい我が家。

 

強がりに聞こえそうですが、

どれだけ騒がしくても、わたしには、

家が癒しの場です。

 

小学校の娘たちは、わたしが帰宅すると

走って玄関まで来ては、

今日あった話しを捲くし立てるし、

それと同時に息子が話し掛けて来て、

さらに長男や長女が捲くし立てる。

 

さらに同時に妻が話してくる。

 

そう、我が家において、

わたしは聖徳太子なのです。

 

そのすべてに的確な返しを

する必要が当然に生じ、

帰宅するや否や

なかなかの圧の日々。

 

そして一息。

 

我が家はこうして廻っております。

 

しかし、この6人から同時に発せられる言葉。

そのひとつひとつは、

個々の口から発せられた

オンリーワンのメッセージ。

 

この家族にあっても、

各人それぞれ今日一日様々なことを

経験し、それを表明しているのです。

 

良かったこと、楽しかったこと、

辛かったこと、嫌だったこと、

泣きたかったことも、

きっとあるわけです。

 

人間ですから。

 

家族、夫婦、親子であっても

本当の意味でちゃんと

バックグラウンドを把握することは

難しいものです。 

 

少しでも聞いて、その言葉や表情から

読み取っていきたいものです。

 

これは、仕事においても

同じですね。

 

しっかりと話しを最後まで

聞いてあげること。

 

若い社員がせっかく話しをしている最中に、

なんだか終わり(話しの内容)が見えてしまい、

「 わかった、お前はこう思ってるんだろっ! 」

なんて、話しを遮ることしばしば。

 

いけませんね。

 

ちゃんと最後まで

聞かなくては。<(_ _)>

 

しっかりと、まとまりのある話しが出来ない。

間延びして、イライラする。

これこそ、わたしが通ってきた道そのものであるのに。

わたしの場合それでも、話す機会をたくさんいただけたから、

今、これでも少しはマシになっているのに。???きっと。

 

そう、わたしに欠けているのは、

「 調和 」です。

 

今更こんなバカなことを言ってと

思いますが。

 

ただ、バカな上司のもとで働く

社員ほど悲惨なことはありません。

 

そこで、「 調和とは。 」を頭に

叩き込みました。

 

とある人によりますと。

「 調和を軽視する人は、

  その重要性を理解していない 」と。

 

 

はい。確かにその通りでした。<(_ _)>

 

調和ばかり気にしている人を見ると、

虫唾が走り、アホかと思っていました。

 

完全に「 調和 」を軽視していたと

いうより、

正しい理解がなかったのです。

 

また、先にあげたとある人によりますと、

「 社会とは、自分以外にも皆が生活して

  いるところであり、事情や都合、

  価値観も各々に抱えて生きてる。

 

  論理性、合理性、利便性で

  割り切れる簡単な世界ではない。

 

  例え正しい考えであっても、

  それを理解できない人を見下して

  いるような態度の人は必ず

  どこかで躓きます。

 

  また、自分の金だから、

  自分のものだからと、

  他人に不快感を与えて平気な人は、

  結局はその報いを受けるのです。  」

 

まさにその通りで・・・。

 

どんな時も、

相手、周辺の人々へ

敬いを持ち、相手を理解しようと・・・。

 

そんな反省をしておりました。