むかしに付き合いがあった取引先との集まりが企画され、
久しぶりに旧交を温める機会が催されました。
お会いした取引先は数社あり、
いずれも創業時より存分にお世話になった方々。
この集まりの発端はインターネットで、
とある一人が
ネットサーフィンをしていた中で、
懐かしい面々がちらほらと。
そこから火がついて・・・。
そんな中に、偶然わたしも見つけていただき、
拾ってもらったのでした。
呼んでくれた人たちは、
わたしの会社歯車に最初の回転を与え、
回転数を増す機会をつくってくださった方々です。
しかし、わたしは会社の回転数が上がっていくと同時に、
会社運営を考え、そうした仕事をいただく社長さんたちから、
徐々に距離をとるようになり、
付き合いは無くなってしまっておりました。
ありがたい思いであった反面、
下請ではなく、もっと自由に、
直にお客様との取引がしたく、
自由なサービスを創造したい思いが強かったのです。
綺麗ごとでは無く、
そうした人たちに対し、深い恩と、心と愛は、
心の片隅に、ずっとありながらも、
自らアプローチをかけることもなく過ごしてしまっていた中、
皆一様に、久しぶりの再会を最大限に喜んでくれ、
救われた気持ちと、何とも言えない羞恥心が。
ある部分では商売敵ともなったわたしの今を、
とても嬉しそうに聞いてくださる、懐の深さ。
普段会社では、自分が最年長でありますが、
今回お会いした社長さんたちに
お世話になっていたのは、
何分にも20年前、わたしが20代の頃の話しで、
「 久永 」、「 久永 」と呼びつけては、
懐かしがっては、
わたしの頭を撫でるのです。
頭髪に難を抱え、来月45歳になろうとしているわたしは、
素直にうれしく、楽しい時間。
当時のわたしは、今では考えられず、
営業に回る時は、生意気にも
直接社長さんと面会をさせていただいておりました。
「 とても重要な案件がございますため、
直接に社長様にお会いし、
お話しをさせてください。 」
当時は、インターネット等が今ほど根付いてなく、
このように話すと、高い確率で社長と面会ができました。
いざ、社長と面会すると、
「 わたしは、現在〇〇〇〇で、
起業間もなくありますが、
だからこそ〇〇〇〇な提案や、
仕事を誠実に安くご提供できるので、
御社におかれまして痒いところに手が届く、
そんな仕事が何よりも得意です。
逆に申しますと、他に頼めず、他に言えないような
こと、お引き受けできるのが当社です。 」
とても、お粗末なプレゼンをしておりましたが、
上述の社長さんたちは、わたしに興味を持ち、
そこから徐々に仕事を発注してくれたのです。
なんでもしますと言った代わりに、
深夜の仕事や、工期が恐ろしく短い仕事、
クレーム処理の同行など、
いただいた仕事の大半は、普通じゃない。
それでも、猛烈に嬉しかった記憶。
そしてわたしは紛れもなくそうしたひとつひとつの
仕事で鍛えられたのです。
遠いむかしの記憶に浸るわたしを他所に、
宴もたけなわ、
子供の話しや、奥さんの話し、孫の話し、
健康の話し、両親の話しへとシフト。
恰幅のいい面々ではあるが、
個々に様々なものを抱えている。
人によっては、押し潰されそうな重荷を
抱えている方も。
20年の月日を、皆必死で歩んでいること知った。
久しぶりの再会。
何も変わることなく、
会うことができる人。
大きな安心と安堵に胸をぬらした。
わたしは、会社で「安心」、「品質」を最重視して
歩んでおります。
その前提として、
人としての「安心」、「品質」をしっかりと養い、
貯えなくては。
20年ぶりの再会の場。
そこには確かな安心が、溢れていました。