東日本大震災から11年、
死者、行方不明者、震災関連死は、
計2万2千人を超ました。
11年が経過した今も、
多くの方が避難所生活を余儀なくれて
います。
コロナウィルスも、
わたしたちの暮らしの当たり前を
根底から覆してしました。
普通の暮らしを当たり前に感じ、
生きてきた。
本来、そんなふうに感じたり、
思うこと自体が当たり前のはず。
しかし、こうした現実を前にすると、
あらゆることへ、
危機感や不安すらなく生きてきたことに
大きな疑問を感じます。
自然現象だけではなく、
ロシアによるウクライナ侵攻のように、
これまで当たり前であった世界秩序は、
実のところ当たり前でもなんでもなく、
西側諸国の勝手な思い込みだったかの如く、
脆いものでした。
自然も環境も人も、
すべては、当たり前なんかではない。
そう気づかされます。
少なくとも、当たり前ではなくて、
当たり前を 有難いに変えなくては。
有難いとは、有ることが難しい。
つまり当たり前ではないということ。
そんな話しを聞いたことがあります。
わたしの場合、
会社があって、
社員がいてくれて、
妻がいてくれて、
子供たちがいてくれて、
本当に有難い。
こうして冷静に考えてみると、
やはり、どれをとっても
当たり前などではなく、
わたしにとってすべてが奇跡で
あることに気づかされました(^^)
わたしから見えるすべてに
感謝をしなくては。
そんなふうに、思い感じがら
生きていきたい。